カルロス・ゴーンよりも衝撃だった、酒井法子の逃亡劇とその裏側
逃亡していた6日間の酒井法子と周囲の人たち
こうして、逃亡生活がスタート。この日、押尾は逮捕されたが、酒井は行方をくらました。所属していたサンミュージックの相澤秀禎会長(当時)はこんなメールをしたという。
「心配していますよ。ひとりで考え込まないで僕に相談してください。(略)とにかく電話がかかってくるのを待っています」
しかし、4日になっても返信がない。会長は再びメールをして「みんなであなたを守るからね。心配しないで電話をかけてきてください」と呼びかけた。が、やはり返信はなく、午後2時に捜索願を出すことに。酒井のマネージャーと高相の母が話をして、ふたりで届けたという。
捜索願を出した心境について、会長はのちにこう語っている。
「僕たちは本気で法子が自殺するんじゃないかと心配していたからです。本当にそればかり考えていた。(略)うちには岡田有希子のこともあるし、法子を担当していた溝口マネージャーが自殺した過去もある……。しかも今回は子どもも一緒にいなくなっている。尋常ではないと思ったんです」(週刊文春)
岡田は酒井の3年先輩にあたるアイドルで、86年4月に自殺。酒井は前年12月に上京して会長の自宅に下宿していたが、同じく下宿していた岡田が3月からひとり暮らしを始めたことによりその部屋を譲られていた。また、溝口伸郎マネージャーは岡田をデビューからその死まで手がけたあと、酒井を長年にわたって担当。しかし、00年に自殺を遂げる。
こうした経緯もあいまって、事務所サイドはもっぱら、夫が逮捕されたショックから酒井が死を選んでしまうことを案じていたわけだ。捜索願が出された直後に行なわれた会見もそのトーンで進み、メディアも世間もそこに同調する雰囲気となった。
その雰囲気はしばらく持ち越されることに。5日には、酒井が長男の預け先に「子供の声を聞かせてほしい」と涙声で公衆電話をかけてきたという。その長男は6日に、警察によって保護された。
ところが7日になって、事態は一変する。夫が酒井の覚醒剤使用を供述、自宅マンションで覚醒剤と吸引器具が押収された。これにより、彼女にも逮捕状が出され、テレビでそれを知った彼女は弁護士に連絡をとり、9日に出頭する運びとなった。
その予定より一日早く、8日午後8時前に彼女は出頭したのである。
9日から取調べが始まり「詳しくは覚えていません」としながらも「夫が目の前で逮捕されたことにより、気が動転してしまった」「逃避行という意識はなかった」などと供述した。
11日には、事務所がコメントを発表。その後、彼女は起訴され、事務所とレコード会社から契約を解除されることになる。
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『痩せ姫 生きづらさの果てに』
エフ=宝泉薫 (著)
女性が「細さ」にこだわる本当の理由とは?
人類の進化のスピードより、ずっと速く進んでしまう時代に命がけで追いすがる「未来のイヴ」たちの記憶
————中野信子(脳科学者・医学博士)推薦
瘦せることがすべて、そんな生き方もあっていい。居場所なき少数派のためのサンクチュアリがここにある。
健康至上主義的現代の奇書にして、食と性が大混乱をきたした新たな時代のバイブル。
摂食障害。この病気はときに「緩慢なる自殺」だともいわれます。それはたしかに、ひとつの傾向を言い当てているでしょう。食事を制限したり、排出したりして、どんどん瘦せていく、あるいは、瘦せすぎで居続けようとする場合はもとより、たとえ瘦せていなくても、嘔吐や下剤への依存がひどい場合などは、自ら死に近づこうとしているように見えてもおかしくはありません。しかし、こんな見方もできます。
瘦せ姫は「死なない」ために、病んでいるのではないかと。今すぐにでも死んでしまいたいほど、つらい状況のなかで、なんとか生き延びるために「瘦せること」を選んでいる、というところもあると思うのです。
(「まえがき」より)